安芸区民文化センターでの上映会は午前、午後ともに
ほぼ満席状態でした。
多数のご来場本当に有難うございました。

この上映会は、中国新聞社・上映実行委員会(中国放送・シネマキャラバンVAG)の
共催で行いました。

開場後の上映までの間、広島県民体操のビデオが流され
来場された方たちもビデオに合わせて身体を動かしていました。

中国新聞社の担当者が挨拶。
来場者にはセレクトなどが配布されました。

さて、話変わり、この上映会でもご来場の方とお話をする機会が
ありました。
印象的だったお話を2つ紹介します。

①島根県から来場された女性
「75年生きて、一番素晴らしい映画。今回で2回目ですが、
 今見ておかないと後悔すると思って島根から来ました。
 すずさんに会いに来ました。」

②呉市出身の昭和15年生まれの男性
「また見たくなった来た。昭和20年の7月1日の呉空襲覚えている。
 ちょうど今の三津田橋の下にいて助かった。
 呉市内焼け野が原だった。
 8月6日の8時過ぎ、防空壕の中にいたら、映画のように
 ガタガタ揺れた。広島の方角を見ると黒い雲が見えたのを
 覚えている。」

貴重なお話し有難うございました。



8/27 竹原市民館ホールでの上映会は
11時と14時30分の2回の上映でした。
各回の上映前に、竹山流津軽三味線師範田岡隷山氏の演奏が行われ
会場を盛り上げていました。
親子3代(祖母、母、孫娘)で来場された方は、今日は来られない祖父が
「当時呉に住んでいました。帰って映画の話をしてあげます」と、
祖母は「若い世代の平和教育になる」とお話をされていました。
2回の上映で500人を超える皆様にご鑑賞いただきました。
ご来場ありがとうございました。



 

中国新聞ホールでの上映会も多くの方にお越し頂きました。
多数のご来場有難うございました。

上映が終わって、80歳台の女性が、スタッフに向かって
深々と頭を下げて帰られたのが印象的でした。

翌日8月21日の中国新聞朝刊でも記事として紹介されましたので、
詳しくはこちらをご覧ください。
  ↓ ↓
中国新聞記事
 



東広島市河内町での上映会終了しました。
この地区での上映会も地元の方々の熱意で実現。
約500人の方にご鑑賞頂きました。
冒頭、地元主催者から
「河内町でこの素晴らしい映画を上映できる事になりました。
 スタッフや地元の皆さんに感謝。
 映画観たあと、みんな今度町であったら
 この映画えかったの~と言って欲しい」など
温かい挨拶がありました。
RCCとシネマキャラバンV.A.Gに対しても
感謝の言葉を頂き恐縮でございました。

スタッフの皆さんが、駐車場の警備から
もぎり、場内案内までチームワークで運営されていました。

有難うございました。



呉市のくれ絆ホールでの上映会は、台風5号の進路次第では開催できるか心配でしたが、
予定通り2回とも上映が出来ました。
どちらの回も多くの方にご来場頂き有難うございました。
夜の部は売切れでした。
昼の部の冒頭、地元主催者の経友クラブ 山下会長が、
「呉が舞台となっている映画であり、今も当時の風景を感じることができる場所が
 たくさん出てくるので、それもまた楽しみです。
 新しいこの絆ホールで、昭和20年の呉が舞台となっている映画をみることが
 できるというありがたさを感じたい」などと挨拶。

来場された方は、呉市在住の方が多いですが、前日の8月6日に
原爆の日の平和記念式典に参列する為に、東京から来られて
呉での上映を知ってわざわざお越し頂いた方もいらっしゃいました。

その方は、「呉でこの映画を観る事に意義があります」と
言って下さいました。

また、呉在住の方からも色々お話しを聞く事ができました。
80歳前の男性は、
「昭和20年小学生の頃、映画にも出てくる戦艦青葉が
 警固屋沖で沈没していた光景を今も覚えている。」
「姉が当時病院につとめていて、呉空襲後の悲惨な状況を
 色々聞かされた」などお話し下さいました。

平成29年8月7日の呉市での上映会が少しでも意義深いものであれば・・・。

皆さま本当に有難うございました。

参考までに、上映会会場での注意事項等の場内アナウンスの声は、
RCCラジオ おひるーなでもお馴染み、呉市在住のラジオパーソリティー
おだしずえさんでした。